東京国立博物館と新ジャポニズム展
- ayamis2901
- 6 日前
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東京国立博物館で開催中の特別展、イマーシブシアター「新ジャポニズム ~縄文から浮世絵、そしてアニメへ~」 に行ってきました。
この展示は、縄文から現代までの日本の精神性をたどる内容です。
手塚治虫の「アニメとは、アニミズム」という言葉が紹介されていました。
アニミズムとは、石・木・水・風・動物・人間・道具など、あらゆる自然の存在に霊性や意識が宿るという世界観。そしてアニメも、動かない「絵」に命を吹き込むという意味で、現代のアニミズムとも言えるかもしれません。
また、浮世絵にあるように、その一瞬、本質だけを取り出すやり方が、古くから行われてきたとも述べられていました。
展示のなかには、埴輪や土偶も登場します。

土偶に施された模様には、どこか日本的な美の感覚に通じるものがあるように感じました。
余談ですが、ジョアン・ミロの彫刻は土偶に似ていると思います。スペインで見たとき、そう感じたのですが、この彫刻をぜひ日本まで運んできて同じように思う方がいないか聞いてみたい。ミロ自身も日本文化を愛していたそうです。(写真の2個目以降がミロ)
イマーシブシアターをみたあと、古代の歴史とアイヌ関連の展示を中心に見てきました。
子持ち勾玉とアジアに息づく感覚
「子持ち勾玉」は、大きな勾玉に小さな玉がくっついている形をした装身具で、祭祀に用いられたと考えられています。親子の象徴とも言われ、その形状から呪術的な意味が込められていた可能性もあります。

5世紀から7世紀にかけて、東北から九州まで広く分布しており、精巧なものほど古く、時代が下るにつれて粗雑になるというのも興味深い点です。
理由があって作成に時間をかけなくなっただけかもしれないし、後世のほうがより本質だけを追求する形になったと言えるかもしれません。
ちなみに、勾玉そのものは北海道やアイヌ文化にも見られます。その起源はユーラシア大陸にあるという説もありますが、定説はなく、謎に包まれたままです。
三種の神器の一つに数えられる勾玉ですが、中国にはこれに相当する霊的象徴が国家レベルで用いられた例はあまりないそうです。むしろ、日本では縄文中期から勾玉の原型が見られ、弥生時代に洗練され、古墳時代には権威の象徴へと発展したという見方があります。
意味は定かでないにせよ、勾玉ってなんかいい形ですよね。
勾玉、なんかよくわからないけどいい。この感覚は、私たちの中にひっそり組み込まれているのかもしれません。それは縄文から続く、見えない感覚の継承なのではないでしょうか。

楯築神社の岩の謎
また、岡山県・楯築神社(たてつきじんじゃ)のご神体とされる「旋帯文石(せんたいもんせき)」の模造品も展示されていました。

この神社は、弥生時代最大級の墳丘墓で、3世紀ごろの創建とされます。吉備地方に伝わる温羅(うら)伝説との関連も指摘されており、興味深いです。
詳しい研究記事も見つけました。▶︎ https://ameblo.jp/zentayaima/entry-12717627735.html
わからないまま惹かれるということ。きっとそこに、感性の芯のようなものがあるのだと思います。
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