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井の頭公園 弁財天のまわりの湧き水

吉祥寺の弁財天、朝の散歩にぴったりの気持ちのよい場所です。



私が「自分と相性のいい神社」を探すときの基準のひとつは、水が近くにあること。

川でも湖でも池でも滝でも、とにかく「水のそば」にあることがけっこう大切です。


井の頭公園の7つの湧き水

吉祥寺・井の頭公園の池(井の頭池)は、江戸時代には神田上水の水源として利用されていました。

徳川家康が「お茶の水」に用いたとされるほどの清らかな湧き水があったそうです。


井の頭池には、かつて「七の井」と呼ばれる7つの湧き水がありました。


公園内の橋の名前も「七井橋」。この橋からの眺めが、とてもきれいです。
公園内の橋の名前も「七井橋」。この橋からの眺めが、とてもきれいです。

池のほとりには、源頼朝によって建立されたといわれる「井の頭弁財天」があり、左手の小さな橋を渡ると「七井不動尊」があります。


さて、この“七の井”、いったいどこにあったのでしょうか?気になったので、実際に調べてみました。


七の井をたどってみる

① 親の井

お稲荷さんのそばにあったとされる井戸。火災により消失してしまったそうです。



② お茶の水

徳川家康が実際に茶の湯に用いたとされる井戸。現在はポンプで汲み上げており、自然の湧き水ではありません。



弁財天のそばも、噴水があるくらいなので、ここからも水が湧いていたのかもしれません。

ご開帳のときの池がすごく綺麗だった
ご開帳のときの池がすごく綺麗だった


……ですが、残念ながら残りの井戸については手がかりが得られませんでした。今ではその気配もほとんど感じられず、場所の特定には至りません。


縄文の水と井戸の記憶

井の頭池のまわりでは、縄文時代の遺跡も見つかっており、「水が湧く土地」として、古代から人が集まっていたことがわかっています。

「縄文時代の遺跡の様子がわかれば、井戸の場所も見えてくるのでは?」と思い、武蔵野ふるさと歴史館まで行ってきました。


(武蔵野市の形って不思議だと思ってたけど、上水に囲まれた形なんですね。一番右は玉川上水の写真。)


さて、1万年以上前の時代、ここ武蔵野台地でも石器に黒曜石が使われていました。

武蔵野では採取できない石です。

武蔵野と関係あるかはわからないですが、伊豆諸島・神津島の博物館に行った時、「神津島は黒曜石がたくさんとれたので海を越えて本州まで運んだ」という説明がありました。

当時の人たちの移動能力に驚かされます。




また、御殿山遺跡からは、青森県の「無文土器(約1万6500年前)」に匹敵するほど古い土器も出土しているそうで、武蔵野の歴史の深さを感じます。


吉祥寺南町では、縄文中期以降、千葉や神奈川と共通するスタイルの竪穴住居が見つかっており、さまざまな文化が交錯する場所だったようです。


井の頭公園のまわりにすごい数の遺跡がある
井の頭公園のまわりにすごい数の遺跡がある


金雲母の土器があった。めっちゃキラキラだが写真でわからないのが残念。
金雲母の土器があった。めっちゃキラキラだが写真でわからないのが残念。

おまけ:ついに見つけた?


湧き水の正確な場所は結局わかりませんでしたが、帰りがてら「武蔵野ふるさと歴史館だより」を読んでいると、こんな記述を発見しました。

徳川家康が「お茶の水」を汲んだとされる井戸は、実は現在知られている場所とは異なることを多くの人は知らない。
(中略)かつては井の頭弁財天の社地内にあった。

江戸名所図会という絵に、家康が大事にしたとされるお茶の水と、柳の木が書かれてます。


——これは気になる!


というわけで、実際にその“それっぽい場所”まで行ってみました。


写真も撮りましたが、そこは……

ただの空き地?

たぶん、このへん
たぶん、このへん

何も残っていない風景の中で、かすかな気配だけを感じて、そっとその場をあとにしました。


発見、ならず。でも、調べる過程がいちばん楽しいのかもしれません。


水と神社、そして土地の記憶をたどる旅は、まだまだ続きそうです。

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