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長野 善光寺とその周辺の神社

牛に引かれて善光寺参り。


善光寺は長野県長野市のお寺。

『善光寺縁起』によれば、御本尊の「一光三尊阿弥陀如来」は、インドから朝鮮半島百済国を経て、欽明天皇十三年(552)に日本へ伝えられた日本最古の仏像だそうです。(善光寺ウェブサイトより。)


善光寺


ご本尊の奥は撮影禁止。

ご戒壇めぐりできた。(暗いけど別に怖くはない)


ちなみに善光寺は7世紀に建てられたとされるものの、12世紀までの記録がほとんど残っていないそうです。


下の写真の碑は聖徳太子。聖徳太子ともかかわりがあるくらい歴史ある寺。

右は善光寺会の分布。全国各地で宗派を超えて広がったそうで、影響力の大きさが伺えます。



こんな大きなお寺が、なぜわざわざ奈良から離れて長野に建てられたのか、わたしの推察は、

「善光寺のある場所が縄文時代から祭祀の場所だったから・・?」


もともと、長野は縄文時代の遺跡も多く、縄文時代に栄えた場所。

それに、大きなお寺は祭祀の場所や墓(古墳)の地に建てられることが多いともいいます。


山を越えてわざわざ百済の仏像を持ってくるなんて、それほど神聖な場所だったのでは?という気がします。

実際に、善光寺の近辺では、古墳時代やそれ以前の遺物が出土しているそうです。


元善光寺と東山道

ちょっと調べると、善光寺は最初は今の地にはなく、長野県飯田市に、善光寺の本尊が最初に祀られた地(元善光寺)があるそう。


さらに、わかったこと。

飯田市のある伊那谷は、古くから東山道(あずまやまみち)という古代の交通路が通っています。東山道は701年、朝廷が滋賀県を起点につくった道で、岐阜県、群馬県、栃木県から東北地方に通じています。


この東山道は、大和政権が地方を支配するための軍事ルートであると同時に、仏教や経典、僧侶がこの道を通って地方に赴いたり、物流や情報のルートでもあったようです。

そして、善光寺、元善光寺、戸隠、諏訪など、この東山道沿いには霊場も多く存在しています。


東山道沿いにある遺跡を調べてみました。

  • 飯田市・座光寺麻績(おみ)遺跡(元善光寺のそば)

石の配置や炉跡など、儀礼・神祭りに使われた痕跡があり、元善光寺がこの地に建てられた理由の一つが、この古代祭祀地の存在だったのでは?という説もある。

  • 小県郡・科野大宮社跡(しなのおおみやしゃあと)

科野国(信濃国の前身)の総社的な神社の旧地とされる。神を迎える「神奈備(かんなび)」的な小高い場所にあり、周囲には祭祀用遺物も出土。

  • 東山道武蔵路沿いの多摩遺跡群

東山道から派生する「東山道武蔵路」の終点周辺で、国府(武蔵国)と大国魂神社が並立。

  • 美濃国分寺跡

国分寺=仏教国家政策の拠点だが、周囲に神道的祭祀の痕跡もある。


東山道以外の古道の神社も調べていくとおもしろそう。


武井神社

善光寺のそばにある神社。創立は定かではないが善光寺のすぐ東側に位置していて、善光寺よりは古い。


鳥居の龍と、参道の隅に寄せられた猿田彦さんが気になる。


西宮神社

蛭子大神(ひるこのおおかみ)=えびす様をお祭りしている。

江戸時代、善光寺参りは「伊勢参り」と並ぶ庶民の大旅行だったそうで、善光寺門前が商業の町だったことから、守り神/商売の神として、えびす様を祀る神社が置かれたそうです。お稲荷さんも祀られてた。




おまけ。えびすさんの隣にある松の木が力強かった。





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