れきはく(歴史民俗博物館)
- ayamis2901
- 5月14日
- 読了時間: 2分
千葉県のれきはくに来ました~!
旧石器時代
土器のない時代。料理は主に「焼く」のみだった。
葉っぱにくるんで蒸すのは、長野の朴葉巻みたいですが朴葉巻は平安時代に生まれたもので、古代の食事とは別物だそうです。

縄文時代
石でできた「石偶」。女性をかたどっているみたい。装飾が最低限で、ある意味土偶よりも美しさを感じる。

縄文といえば有名な火焔型土器。実は北陸地方の一部でしか見られないそうです。
寒くなった時期にたくさん作られたという話もあり、祭祀のために作られた説が強い。

土偶ってなんでこんなに無表情なんだろう。東京の疲れたサラリーマンのようにも見える。笑うとか怒るとかもなく、ぼーっと気が抜けた感じ。

倭の南縁は九州までのようです。離島は南方文化になる。倭の北縁は岩手のあたり?続縄文文化も気になる。
縄文時代中期、関西にはほとんど人がいなかった。(近畿全体で2800人。)

弥生時代
東海地方の2世紀ごろのシャーマンまつりの再現。鳥形の木製品とともに田の神を祀っていた。アメノウズメの感じがある。伊勢神宮も2世紀はこんなのだったのかしら。

沖ノ島
沖ノ島は九州と朝鮮半島の間にあり、航海安全を祈る場だった。4世紀から歴史があるそう。23カ所もの催場があり、岩上遺跡(4世紀後半~5世紀)、岩陰遺跡(5世紀後半~7世紀)、岩陰・岩露天(7世紀前半~8世紀)、露天(8~9世紀)と、形式が変わっていく。
岩上:銅鏡など、奉献品が古墳と似ている
岩陰:ペルシャのものや鉄器などあり、国際的。
半岩陰・半露天:中国や新羅などのもの
露天:国内の他の催場の者と共通で、中国や朝鮮半島のものは確認できない。


江戸時代の伊勢
「いそべ」の南に磐座とあり。鳥羽の石神さんのこと?(次回へ)
伊勢の南に「岩戸」とあり、これも今後調査したい。

江戸時代の伊勢神宮は今と結構異なっている。宇治橋を渡ってまっすぐ奥に「山神社」なるものがあるし、稲荷みたいな鳥居も見える。

鳥居を進むと荒祭宮。ご神殿がとても大きい?

一番奥には古殿と正殿。鳥居が南北にあり、通り抜けできるようになっている。立ち入り禁止エリア、今より狭くない?!昔の伊勢神宮が気になってきた。

おまけ
折口信夫コーナーがあった。私も「まれびと」みたいな新しい概念発見したい。

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