宗像と沖ノ島 ― 航海の人々の信仰と世界遺産
- ayamis2901
- 7月4日
- 読了時間: 5分
沖ノ島のある宗像にきました。
1. 宗像の歴史
宗像市は、北九州と福岡の間にあるベッドタウンです。
福岡市の中での存在感はそこまで大きくないらしいのですが、宗像市だけで約2800の古墳があるそうで、古代に宗像族により、とても栄えたそうです。
海のそばに山がある、まさに海女の町です。震災の影響をうけた能登市輪島も海女の町だそうで、復興支援しているそうです。
海女が、歴史を超えてつながってる。

2. 宗像大社と三女神の三社参り
全国に約8万社ある神社のうち、約6000社が宗像神社系列といわれています。
その総本山が、宗像大社。
辺津宮・中津宮・沖津宮の三社から成り立っていますが、中津宮へは船でしか行けず、沖津宮は上陸不可(沖ノ島の中にあります)。
ということで今回は、陸から参拝できる辺津宮だけ行きました。

辺津宮のお社は、古代には海に面した場所にあったそうです。

拝殿の裏のお社は、地元の神様なのか、聞いたことのない神社の名前が並んでいます。
3. 高宮と、土地に宿る神のちから
拝殿の奥、気になったのは高宮。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が降り立ったとされる場所。注連縄で囲まれた4本の木から神様がおりてくる、とされます。

右奥にぽつんとあった石がとても気になりました。

もともとは地元の神様がこの地で祀られていたそうです。そして、今の形になったときに、横に移動していただいたのだとか。
年に1回行われるみあれ祭では、この高宮が祭祀場となりますが、祭祀の最初には必ずこの地元の神様にお祈りを捧げるそうです。
4. 石にこもる記憶と、祀りの源流
地元の神様って、宗像族が日本に来る前だとしたら、縄文の2000年くらいは遡るのでしょうか。わたしにはこの石に一番ちからを感じました。
地元の神様は、原住民の神様ではなくその土地の神様と同一なのだと思います。
宗像族も、この土地の神様の神秘を感じたからこそ、大事に祀っているのかな、なんて思います。
5. 海の道を見守る神の島・沖ノ島
世界遺産に登録された、沖ノ島。
宗像の神湊という港から韓国までを一直線につないだルート上にあります。

この海は海流がとても早く、嵐が来ると命がけだったそうです。
奈良時代の遣唐使船は、半数が難破していたともいわれます。
沖ノ島に無事たどり着けば、あとは釜山までいける、そう思ったのではないか、と博物館の館長さんがおっしゃってました。
6. 島そのものが神さまになる
海流も早く、何も見えないところに急に現れた島は、島全体がもう神に見えただろうと思う、と館長さんはおっしゃってました。沖ノ島に神が宿るの意味はそういうことだったのね。
沖ノ島は断崖絶壁で、住むこともできない島です。
海の安全を祈願するため、この島には8万点ものお供え物が捧げられたそうです。日本から出港するときは日本の宝を、海外から戻る時は海外の宝をお供えする。それらはすべて国宝です。
無人なのに、盗む人はいなかったそうです。
7. 神の島を守りつづける人たち
沖ノ島に入る船は、島の手前にある岩と岩の間を鳥居のように通る必要があるそうです。

石を鳥居として扱うのは宮古島でも見ましたが、最も原始的な神社の形式だと思います。
沖ノ島にある神社は、神職さんが10日おきに滞在し、滞在中は毎日禊をしてから神社の中に入るそうです。
ユネスコ世界遺産に登録されると、一般的には観光客がものすごく増えるので、観光客増加による街の発展を狙ってユネスコ登録を目指す場合もあるそうです。
でも、沖ノ島は観光目的の登録ではないそうです。世界遺産登録って全然宣伝されていませんよね。私も知らなかった。ユネスコになろうが海の神様をおまつりするだけで、やることにはかわりない、とのお考えなのだそうです。

そして、宗像大社では10月に「みあれ祭」というお祭がおこなわれます。漢字で書くと「御生」。200の船で島へ神様をお迎えにいく行事です。

これは、まるでお盆のように宗像三女神に集まっていただき、ドンチャン楽しくお祭りをして、それでまた新しくパワーをつけてもらえることを願ったお祭りなのだそうです。
ちなみにみあれ祭は下鴨神社にもありますが、下鴨神社のみあれ祭は御蔭山(みかげやま)からの御神霊を、本殿へとお迎えする儀式で、山と海の違いはあれど、神様をお迎えする行事であることに変わりはないようです。
8. 古墳に眠る海の民
新原・奴山古墳群は、5世紀から6世紀の間につくられた古墳で、海を見渡せる台地上にあります。


沖ノ島をふくむ神社が登録予定でしたが、海上安全は宗像の海人族のスキルあってこそのものなので、神様だけで実現できるわけではありません。
なので、ユネスコには、海の安全を守ってきたご先祖の古墳も一緒に世界遺産にしましょう、と提案されたのだとか。
9. お祈りは遠くにあっても届く
ちなみに大島にある中津宮には、沖ノ島の遙拝所があります。
この遙拝所はお社があるのみで御神体がなく、英語のガイドでは「remote ritual」と説明するそうです。
実際にその場所に神さまがなくても、ご神体すらなくても、その方向を向いていて、おいのりがあればお祈りは通じる。
私も家に遙拝所を作って、神様拝もうかな、なんて思ったりしました。
宗像を歩いて、感じたのは「祀ること」の原点でした。
石、方角、海、島、航路、祈り、そして人々の営み。
すべてが神様とつながっていて、現代の私たちにもそれが届いている。
そんなふうに思える旅になりました。
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