琵琶湖の海人族ゆかりの地へ
- ayamis2901
- 6月30日
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更新日:7月3日
城下町・高島に残る伊勢の記憶
滋賀・高島に来ました。ここは江戸時代の1619年、伊勢・上野城から移封された分部光信が、二万石で大溝に着任し、荒廃していた城に代わって城下町の建設に力を注いだ場所です。
「伊勢町」と大溝祭
駅の北側には「伊勢町」という地名も見られます。これは伊勢から従ってきた人々の名残でしょうか。当時、この地では醸造業が盛んだったそうです。きっと水がきれいだったのだと思います。
伊勢上野の曳山祭りを移した伊勢上野の曳山祭りを移した祭「大溝祭」が有名だそうです。
祇園祭・だんじりも曳山祭ですが、もともとは海の霊力を詰め込んだ船の模型をかつぎ、曳き、村中を荒々しく走り回りながら、神宿る山へと駆けのぼるのが原型ではないかというのが中沢新一さんの説です。
ちなみに伊勢町のさらに北側には安曇川(あどがわ)が流れており、山と海をつないでいるので、アズミ氏の信仰の場としてもふさわしいなと思います。
日吉神社御旅所もありました。神輿を一時的に安置する場所だそうです。
広い敷地にポツンと祠があります。立ち入り禁止でした。日吉神社は別にあります。
近江最古の神社・白髭神社へ
白髭神社到着。近江最古の神社で、垂仁天皇の時代に倭姫命が社殿を建設したとされています。ご祭神は猿田彦。
ただ、倭姫命は琵琶湖の東側を通って奈良から美濃へ動いているはずなので、ルート上には位置していません。ただ、京都の籠神社も同じく位置していませんので、ルートは1本ではなく、奈良から何回にもわたって大和政権が周辺の有力者を制圧していったんだろうなと思います。
参考に倭姫命の巡礼ルート: http://www.yamatohime.jp/html/page_c.html
「シコブチ様」
白髭神社では海上安全が祀られていて、やはり琵琶湖は「海」として信仰されてきたのだと感じました。
個人的にとても気になったのは、説明板にあった安曇(あど)川水系における「シコブチ信仰」です。安曇川は白髭神社の北にありますが、アズミとも読めそうな名前からして、海人族・安曇氏の痕跡を感じます。
安曇川ではかつて、木材を運ぶ筏流し(いかだながし)が盛んに行われていました。流域の人々――特に筏師たちが命をかけて川を下る際に信仰したのが、「シコブチ様」です。
シコブチは、自然霊とも、あるいは筏師たちの祖霊が神となった存在とも言われています。自然の神様と先祖の神様の一致は、自然と人間が循環しているという考え方の名残があるように感じました。
白髭神社には、豊受大神や天照大神もまつられており、まるでミニ伊勢神宮です。

石室と磐座
一番奥にあるのは岩戸社。お社の窓からは石室が見えます。社殿の裏側には石があり、その石に木の根が絡みついていて、まるでお墓のよう。この地を治めた豪族の弔いだったのでは、と想像しました。
社殿の背後にある大きな岩は、彼らが信仰していた磐座だったのでしょうか。想像が膨らみます。誰の墓かはわかっていないそうですが、「石棺」ということは、弥生~古墳時代の有力者の墓なのかもしれません。
湖畔の風景に、海人族の面影が見える
さて、改めて行ってみると琵琶湖は本当に美しいです。
波があり、松の木が植えられていて、まるで海のようです。
天橋立にも似ているし、宮古島や鳥羽の風景にも近い。白い砂浜に優しい波。
遠くに見える山々の稜線も美しい。
おだやかな海と山のある場所へ、また
海人族が住んだ場所は、山と海があり、おだやかで、どこも似たような空気をまとっている。今日、そんな共通点をあらためて感じました。
こんな場所を、また見つけて歩いていきたいなと思います。
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