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織物と神さま

更新日:6月25日

織物、みたいな日常的なものにも神様との縁を感じることがある。そんな気付きをくれた私の研究のひとつ。


茨城県・大甕神社の言い伝え

日本の古代において、織物と神々の関係は非常に深く、信仰において重要な役割を果たしていました。

茨城県・大甕神社(おおみかじんじゃ)に祀られている倭文神は、大和朝廷が東北地方を平定する過程で登場する織物の神です。

大甕神社には、「天香香背男(あまのかがせお)」という神にまつわる伝承が残っています。『常陸国風土記』によれば、天香香背男は天照大神に逆らった「まつろわぬ神」とされ、荒ぶる力を持つ存在でした。この神を鎮めるために、武葉槌命(たけはづちのみこと)=倭文神という織物に長けた神が派遣されます。武葉槌命は、織物の技術で天香香背男を封じたと伝えられます。

織物という柔らかで丁寧な行為が、荒ぶる神を静め、共存の道を開いた――その神話は、古代における織物の持つ霊的な力や象徴性を今に伝えています。

注連縄も特徴的
注連縄も特徴的

糸を織ることが神事だった時代


織物にまつわる伝説といえば七夕の話がありますが、もともとは「棚機(たなばた)」と書き、日本各地にあった水辺で神衣を織る巫女的儀礼(棚機女)に由来するとされています。


この「日本古来」という言葉には注意が必要で、記録上の棚機は飛鳥〜奈良時代(大和朝廷期)に制度化されました。


しかし、その起源は弥生時代以前〜縄文晩期のアニミズム的な女性霊性や水神信仰に遡る可能性があると、民俗学では考えられています。

時代

織物信仰・棚機との関係

縄文時代

布を織る道具は確認されていないが、糸を撚る・植物繊維を扱う文化(編布・網など)は存在。布の呪力も推測される。

弥生時代

麻織物の使用が拡大。布を奉納する儀礼や女性の祈祷者が出現。棚機的な要素(巫女×糸×水辺)の起源と見られる。

古墳時代

神衣や幡を捧げる神事が形成。巫女的儀式としての棚機女も登場か。

飛鳥・奈良時代

『日本書紀』『延喜式』などに棚機や神御衣祭が登場。中国の乞巧奠と習合し、現在の七夕へ。

※図はChatGPTさん作。


折口信夫は、「斎宮制」「処女性と神婚」「神衣・神迎え」の文脈で、棚機女の儀礼が古代の巫女制の原型であると位置づけました。


神衣を織ることは神を迎える準備、神の依代をつくることであり、糸をつむぎ織る行為は魂と神を結ぶ祈りの行為であると解釈されます。


棚機女がこもる場所は、神との交信を行う「異界との接点」として設えられ、水辺の小屋(棚)で行うという点にも結界的・儀礼的な意味が込められていたのです。


布に宿るとされた力


織物は単なる「布」ではなく、古代の人々にとっては神聖な霊的行為でした。

以下に、織物に込められた霊的・呪術的な側面を整理します。


1. 神の依代(よりしろ)

神に捧げる布(神衣・幡)は、神霊が宿る依代とされました。白布は神の臨在を示すしるしであり、神社の御幌や注連縄にも使われます。たとえば、伊勢神宮の「神御衣祭」では、今も神に奉納する布を浄めて織る儀式が続いています。


2. 清めと境界

織物や糸は「境界」を作り、「邪を祓う力」を持つとされました。風に揺れる布には神の気配が宿るとも信じられています。神社の幌、舞台の幕、巫女の衣、幡、のれんなどは、いずれも霊的な清めと結界の役割を果たしてきました。伊勢神宮では今も麻を用いて神事を清めます。


3. 魔除けの力

糸をつむぐ=命を生む、織る=運命を編むという観念がありました。アイヌ文化では刺繍に魔除けの力を込めたとされます。時代が新しくなりますが、戦時中の「千人針」も祈りの糸とされていました。


4. 女性の霊的能力の象徴

織姫、巫女、斎宮、織女など、布を織る女性は神と交信する存在とされたそうです。神衣を織る女性たちは、現代でいえばシャーマン的な存在でもあります。


神衣を織る人々と土地

機殿(はたどの)神社(三重県明和町)

伊勢内宮・外宮に奉る神衣を織る役割を担ってきた神社です。地域は古くは「御糸(みいと)」と呼ばれ、麻と絹、二つの織物の神社が存在しています。

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天白信仰と麻績(おみ)氏

この地域から愛知・長野にかけて、「天白信仰」と呼ばれる古い信仰が広がっており、詳細は不明ながら織物の神様・石神的な性格をもつとされます。かつては麻績氏(おみし)という、麻糸の製作と織布技術に長けた氏族が祀っていたと伝えられています。長野県の「麻績村」など、地名にもその痕跡が残ります。


纒向(まきむく)と糸の神話

機殿神社で神衣を織った「織子(おりこ)」たちは、奈良県桜井市の纒向(まきむく)地域から迎えられたと伝えられています。

桜井は三輪山の麓、古代大和政権の中心地であり、織部(おりべ)と呼ばれる技術者集団が神衣を担っていたとされます。


また、ここは「卑弥呼=纒向説」が語られる地で、古代シャーマンである卑弥呼の墓とされる箸墓古墳もあります。


三輪山信仰との関係が深く、斎宮制度・神職の系譜が形成された重要な霊的空間です。


倭迹迹日百襲姫命と赤い糸

大神神社の縁起で語られる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は、神と交わった巫女的な存在として知られます。彼女は神の正体を知ろうとして、赤い麻糸を神の衣に刺し、あとを追うという神話があり、糸=神と人をつなぐ道具という象徴が強く表れています。


織ることは、神を迎えること

神に奉る布は、単なる織物ではなく、神が降り立つ依代(よりしろ)としての霊性を持ちます。そのため、織子たちは特別な身分と儀礼の中で布を織りました。

項目

内容

選出

貴族階級の少女が都から選ばれる(約10歳前後)

潔斎

一定期間、禁欲的生活を送り身を清める

衣食住

白衣をまとい、質素な生活。外界との接触は制限される

織屋

機殿と呼ばれる聖なる建物にこもって布を織る

機を立てる前には「祓詞(はらえことば)」を唱え、糸や道具を清めます。


織りの音(トン・カラ・カラン…)は、神楽のように神を招くリズムとされ、織子たちは、糸一本一本に祈りをこめて「神に捧げる布」として魂を織り込んでいきました。


これはまさに神事=祭祀であり、織りそのものが霊的な儀式だったのです。リズムにはトランス状態に近い精神作用もあり、織ること=神とつながることとされたのも納得です。


おわりに

私たちの暮らしの中で何気なく使っている「布」や「糸」。それは、かつて神と人をつなぐ神聖な手段であり、織りや塗り、ささやかな手しごとの中にも神様との縁を感じるものなのだということがわかりました。


特別な場所に行くことがなくても、日常の中で目に見えないものとつながる感性は、現代の私たちの何気ない生活の中でほかにも受け継がれているのではないでしょうか。

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